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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)5488号 判決

原告

崎下節子

外六四名

原告ら訴訟代理人弁護士

林弘

中野建

松岡隆雄

右訴訟復代理人弁護士

林功

被告

和歌山県

右代表者知事

西口勇

右指定代理人

阿多麻子

外九名

被告

関西電力株式会社

右代表者代表取締役

森井清二

右訴訟代理人弁護士

俵正市

坂口行洋

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一  請求の趣旨

一  被告らは各自

1 別紙原告目録第一表記載の各原告に対し、それぞれ金一一万円及び内金一〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

2 別紙原告目録第二表記載の原告に対し、金五五万円及び内金五〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

3 別紙原告目録第三表記載の各原告に対し、それぞれ金一一〇万円及び内金一〇〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

4 別紙原告目録第四表記載の各原告に対し、それぞれ金三三〇万円及び内金三〇〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

5 亡安宅令司訴訟承継人原告安宅秀中、同安宅美絵、同安宅盛十に対し、それぞれ金一八三万三三三三円及び内金一六六万六六六六円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

6 原告虎屋漬物株式会社に対し、金一億三四八四万〇六二五円及び内金一億二七八四万〇六二五円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

7 原告小阪善一に対し、金四八七万八六〇〇円及び内金四四七万八六〇〇円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

8 原告藪本健次に対し、金二七五万円及び内金二五〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

9 原告山本清一に対し、金六六〇万円及び内金六〇〇万円に対する平成二年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員

を各支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二  請求の趣旨に対する答弁

一  主文と同旨

二  担保を条件とする仮執行免脱宣言

(当事者の主張)

以下の事実及び理由の記載において、次のとおり略称、略号を用いることとする。

1  各種単位の表示については、左の記号による。

ミリメートル………………………mm

センチメートル……………………cm

メートル……………………………m

キロメートル………………………Km

平方キロメートル…………………km2

立方メートル………………………m3

毎秒○○立方メートル………m3/s

毎秒○○メートル……………m/s

ミリバール…………………………mb

パーセント…………………………%

2  時刻の表示は、二四時間制による。

第一  請求原因

一 当事者

1  被告関西電力株式会社(以下「被告関電」という。)は、昭和二九年七月三〇日、和歌山県知事から殿山水力発電所水利使用の許可を受け、二級河川日置川上流の和歌山県西牟婁郡大塔村大字合川にアーチ式ダム(以下「殿山ダム」という。)を、和歌山県西牟婁郡日置川町殿山に発電所をそれぞれ構築し、昭和三二年五月から操業運転を開始した。

2  和歌山県知事は、日置川の河川管理者である。

3  原告らはすべて日置川町の住民である。

二 殿山ダムの概要

殿山ダムの諸元は、別紙1「殿山ダムの諸元」のとおりである。

三 平成二年九月一九日の洪水(以下「本件洪水」という。)

1  平成二年九月、台風一九号(以下「本件台風」という。)が日本に接近するに伴い、日置川流域では九月一四日ころから降雨が始まり、九月一九日に最大雨量を記録し、翌九月二〇日一時ころ降り止んだ。

2  本件台風の九月一九日一八時現在の位置は潮岬の西南西約一〇〇Kmにあり、中心気圧九四五mb、中心付近の最大瞬間風速四五m/sで、前日よりスピードを上げ、一七時三九分には室戸岬で最大瞬間風速61.2m/s、一九時五五分には潮岬で最大瞬間風速59.5m/sをそれぞれ記録した。

3  そして同日二〇時ころに日置―白浜間に上陸し、その時点において日置川町役場で九四〇〜九四五mbの気圧が観測された。また、同日〇時から一八時までの雨量は、日置一一四mm、大台ヶ原日出岳四二二mm、本宮町一八二mmであった。

四 本件台風時における殿山ダムからの放流

1  本件台風がもたらした雨によって殿山ダムへの流水の流入量が増大したため、被告関電は、別表一記載のとおりオリフィスゲートを開閉したが、平成二年九月一九日、一門目から五門目までを全開したうえ、同日二一時三〇分、六門目から放流を開始した。

2  同日二三時ころから、増水した日置川から濁流が和歌山県道日置川大塔線を越えて殿山ダムの下流地域一帯に流入し、別表二記載のとおりの被害が発生した。

五 被告関電の責任

1  本件洪水時におけるダム操作の誤り

(一)  本件洪水時、被告関電のダム管理主任技術者(以下「ダム主任」という。)は、最大流入量その他流入量の時間的変化の予測を怠り、適切な事前放流を行わなかった。

(1) 昭和三三年八月二五日台風一七号の際、殿山ダムの洪水吐ゲートが六門開放されたため、日置川下流に大洪水が発生し、死傷者を含む大災害をもたらした(以下「昭和三三年水害」という。)。

被告関電は、昭和三三年水害の経験から、殿山ダムのゲートを六門開放した場合、日置川下流において流水が堤防から氾濫し、これにより災害が発生することを熟知していた。

一般にダム設置者は、洪水等による災害から住民の生命身体財産等を守るため万全の措置を講ずべきであるが、特に殿山ダムについては、昭和三三年水害の経験に照らし、六門放流による日置川下流住民の被害を二度と繰り返さないよう万全の上にも万全の措置を講ずべき加重された義務を負担している。

(2) 昭和四一年五月一七日建設省河発第一七八号(最終改正昭和五一年一〇月二六日建設省河政発第六八号)「河川法第二章第三節第三款(ダムに関する特則)等の規定の運用について」(以下「本件通達」という。)別添第一「標準操作規程」二一条一号、昭和五三年一二月一日指令砂第二一三号承認「殿山ダム操作規程」(以下「本件操作規程」という。)二一条一号によれば、洪水警戒時においては、最大流入量その他流入量の時間的変化を予測すべき旨が定められている。

右流入量の予測を的確に行うためには、殿山ダムの調整池に流入する日置川等の河川の適切な位置に適切な数の水位流量等の観測点を設けるとともに、適切な位置に適切な数の雨量観測点を設け、予備警戒時以降、適切な回数の観測を行う必要がある。

そしてダム主任は、右観測等による諸情報を適切に判断し、適切な事前放流を行うべき注意義務があった。特に殿山ダムについては、昭和三三年水害の経験に照らし、ダム主任としては、下流住民の生命身体財産等に対する重大な危険を防止するため、洪水吐ゲート六門の放流を避けるべく、事前放流により本件操作規程の定める予備放流水位である標高117.00m(水位計による表示15.00m)よりさらに水位を低下させておくべき義務があった。本件台風時において、被告関電のダム主任が右に述べた適宜の措置をとっていれば、流入量が最大に達しても、六門目の洪水ゲートを開放する必要はなかったのである。

ところが、ダム主任は、右注意義務に違反して適切な事前放流を怠り、その結果、その後の流入量の増加により六門目の洪水吐ゲートを開放するに至ったものであり、ダム主任の右行為は違法である。

もっとも、殿山ダムゲート操作記録(以下「本件操作記録」という。)には、本件台風時において被告関電が事前放流を行った旨の記載がある。しかし本件操作記録や被告和歌山県(以下「被告県」という。)作成の安居橋水位観測所のテレメータ観測記録等の記録は、被告らが捏造したものであり、信用できない。かえって、日置川の水位の変化に注意を払っていた日置川流域の住民である原告山本清一、同大岩虎一らの知覚した水位の状況からすると、事前放流がなされていないことは明らかである。

(二)  本件洪水時、被告関電のダム主任は、六門目の洪水吐ゲートを開放し、放流を行ったが、右放流開始の判断は誤りである。

(1) 本件洪水時における流入量の時間的変化とダム操作との関係

本件操作記録によれば、本件台風時の殿山ダム調整池への流入量が最大の2788.4m3/sに達したのは平成二年九月一九日二一時二〇分であり、その後流入量は急速に減少している。殿山ダムの常時満水位は標高125.00m(水位計による表示23.00m)であるところ、本件洪水時のピーク水位は同日二二時に記録した21.29mであり、常時満水位との差は1.71mである。

これに対し、被告関電が六門目の洪水吐ゲートの放流を開始したのは、本件操作記録によれば、ダムへの最大流入量を記録した一〇分後の同日二一時三〇分であり、右時点においては既にダムへの流入量は急速に減少し始めていた。そして被告関電が六門目の洪水吐ゲートを全閉したのは同日二一時四九分であるから、六門目の洪水吐ゲートの放流開始から全閉までの時間は一九分であり、六門目を全閉してからダム地点のピーク水位に達するまでの時間は一一分である。

右の点に加えて、洪水吐ゲート五門全開の放流量が二五〇〇m3/sであり、六門目開放による殿山ダムの最大放流量が同日二一時四九分で二五九〇m3/sであって、その差が九〇m3/sであることを考え併せると、六門目の洪水吐ゲートを開放しなくてもダム地点でのピーク水位が常時満水位に達しなかった蓋然性が高い。

(2) 殿山ダムの安全性

被告関電和歌山支店長は、日置川町水利権更新対策協議会の殿山ダムの安全性に関する照会に対し、昭和五九年六月二九日付けで、殿山ダムは洪水量三〇〇〇m3/sはもとより、三六〇〇m3/sの流下時でも十分安全であること、またダム地点での流入量が八七〇〇m3/sに達し、ダム天端を越流することになった場合でも、ダムが決壊する心配は全くない旨回答している。

右回答が真実であれば、流水がダム天端を越流するに至った時点ではじめて六門目の洪水吐ゲートを開放すべきか否かを判断しても遅過ぎることはなかったはずである。

(3) にも拘らず、被告関電のダム主任が越流の確認を行わず、ダムへの流入量が急速に下降を始めた同日二一時三〇分に六門目の洪水吐ゲートの放流を開始したことは、ダムの安全性に問題があるためか、そうでないとすればダム天端上の設備の保護を図るために日置川下流住民の生命身体財産を犠牲にしたものといわざるを得ない。

以上、被告関電のダム主任は、必要性がないのにみだりに六門目の洪水吐ゲートを開放したものであり、右行為は違法である。

(三)  被告関電の従業員は放流に先立って必要な一般への周知を十分に行わなかった。また、警報装置を事前に十分点検していなかった。

(1) 河川法(以下「法」という。)四八条は、「ダムを設置する者は、ダムを操作することによって流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合において、これによって生ずる危険を防止するため必要があると認められるときは、政令で定めるところにより、あらかじめ、関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならない。」と定めており、これを受けて本件通達別添第一「標準操作規程」一五条、本件操作規程一五条は、一般への周知方法としてサイレン等及び警報車の拡声器等により行うものと定めている。

(2) ところで、右のサイレン等は、洪水時における吹鳴が洪水によって生ずる災害防止上有効かつ適切でなければならず、そのため、予備電源設備を附置するなど暴風雨の下においてもその吹鳴を確保できるものであることが必要である(本件通達3(3))。

ところが、被告関電の従業員はサイレン等の警報装置について十分な点検整備を怠ったため、本件洪水時において、四門放流時から音声放送が故障により全く作動しなくなってしまい、サイレンも故障して吹鳴しなかった。

そのために原告らは、農業資材その他の被害物を高所に移動させて災害の拡大を防止することができなかった。

(四)  よって、被告関電は、同被告の従業員であるダム主任及び他の従業員らの右不法行為による損害について民法七一五条一項による責任を負うべきである。

2  防災教育訓練

ダムの管理・運営について万全を期するためには組織体制を整備し、操作規程等によって必要事項を定めておくというだけでは足りず、ダムの操作にあたる関係者について日頃から実際に具体的な洪水を想定した訓練を積ませ、教育研究を重ねるなどして実践的な洪水予防対策が有効適切に行われるようにしておく必要がある。

ところが、被告関電は右義務を怠り、その結果、本件洪水時においてダム主任ら被告関電の職員が最大流入量その他流入量の時間的変化を的確に予測して、適切な事前放流を行うことができず、日置川下流住民に被害をもたらした。よって、被告関電は、民法七〇九条に基づき不法行為責任を負うべきである。

3  操作規程の不備

被告関電は、昭和三三年水害の後も本件洪水までの間、操作規程を改正せず、本件洪水後の平成三年九月になってようやく操作規程を改正し、大規模出水が予測されるときの基準となる貯水位として、予備放流水位である標高117.00mより低い標高114.00mの貯水位を新たに設定した。

このような貯水位を本件洪水以前にタイムリーに設定しておくべきであったのであり、本件操作規程は基準となる貯水位を高く設定しすぎていた点で不十分なものであった。

また、殿山ダムは、これまでの水害の実例からみて、洪水警戒時のみの予備放流では所定の予備放流容量を確保しがたいダムで、事前放流の必要が高いダムであるから、本件通達別添第一「標準操作規程」二〇条二項の規定をおいておくべきであった。

被告関電は、右のように不備のある本件操作規程を早期に改正すべき義務があったのにこれを怠り、本件洪水時まで改正しなかったのであるから、民法七〇九条により不法行為責任を負うべきである。

4  殿山ダムの設置保存の瑕疵

殿山ダムは以下に述べるような設置保存の瑕疵があるので、民法七一七条により不法行為責任を負うべきである。

(一)  設置場所の誤り

殿山ダムは、将軍川、前の川、安川の三つの川及びその支川の流水を一点に合流させるように作られたため、各川の流出時間のずれがなくなり、ダム設置によって洪水の危険が増大した。殿山ダム設置以前には明治一四年から昭和三一年までの七五年間にダム下流地域において浸水被害をもたらした洪水は五回程度であったにも拘らず、ダムが設置された後は現在まで八回の浸水被害が発生しており、ダム設置前より被害発生回数が増加している。

(二)  ダム本体について

(1) 河川管理施設等構造令(以下「同令」という。)二条三号は設計洪水位について次のとおり定義している。

「① ダムの新築または改築に関する計画において、ダムの直上流の地点において二百年につき一回の割合で発生するものと予想される洪水の流量

② 当該地点において発生した最大の洪水の流量

③ または当該ダムに係る領域と水象若しくは気象の観測の結果に照らして当該地点に発生するおそれがあると認められる洪水の流量

のうち、いずれか大きい流量の流水がダムの洪水吐を流下するものとした場合におけるダムの非越流部の直上流部における最高の水位をいう。」

そして、昭和五一年一一月二三日河川局長通達「同令及び同令施行規則の施行について」記、二(1)イは、設計洪水位について次のとおり定めている。

「二百年につき一回の割合で発生するものと予想される洪水の流量を求める場合において、ダムの実情によりこの流量を求めることが困難なときは、当該ダムに係る流域において百年につき一回の割合で発生するものと予想される洪水の流量に1.2を乗ずることにより、この流量を求めることができるものとすること。」

(2) 設計洪水位に関する同令の定めは、ダムの構造について技術的に特異なものではなく、河川管理上常識的な意義を有するものであって、いわゆる条理であるから、殿山ダムの設置保存の瑕疵を検討するにあたっても妥当するものである。

これを殿山ダムについてみると、明治二二年に田辺市内において日雨量901.7mm、時間雨量最大一七〇mmを記録しており、この場合の殿山ダムへの推定流入量は約八七〇〇m3/sである。殿山ダムの設置許可申請がなされた昭和二九年は右明治二二年の洪水から一〇〇年も経過していないのであるから、被告関電は、殿山ダムの設置許可申請にあたっては、少なくとも明治二二年の洪水の流量に基づいて設計洪水位を設定すべきであった。

ところが、被告関電は、従前の日置川の洪水状況を十分調査することなく、和歌山県西牟婁郡近辺の昭和一二年から昭和二六年までの雨量(日雨量最大は昭和一七年九月一四日に記録した二七五mm)や栗栖川の昭和一六年から昭和二七年までの雨量(日雨量最大は昭和二三年八月二日に記録した304.2mm)等わずか十数年の短期間の雨量調査から日置川の計画洪水量を二〇〇〇m3/sと算定し、被告県の注意を受けてこれを三〇〇〇m3/sと変更して、右数値に基づいて殿山ダムを建設したものであって、殿山ダムには設置保存に瑕疵がある。

(3) さらに殿山ダム設置後の昭和三三年水害の際の殿山ダム地点での日雨量は四二一mmであり、遅くとも昭和三三年水害の後には、殿山ダムの設計洪水位が異常に低いものであることは明確に認識することができたのであるから、被告関電は、殿山ダムを改築することにより、設計洪水位を変更すべきであった。ところが、被告関電は、その後も設計洪水位を変更しなかった。

(三)  警報装置について

法四八条は、「ダムを設置する者は、ダムを操作することによって流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合において、これによって生ずる危険を防止するため必要があると認められるときは、政令で定めるところにより、あらかじめ、関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知するとともに、一般に周知させるため必要な措置をとらなければならない。」と定めており、これを受けて本件通達別添第一「標準操作規程」一五条、本件操作規程一五条は、一般への周知方法としてサイレン等及び警報車の拡声器等により行うものと定めている。

ところで、右のサイレン等は、洪水時における吹鳴が洪水によって生ずる災害防止上有効かつ適切でなければならず、そのため、予備電源設備を附置するなど暴風雨の下においてもその吹鳴を確保できるものであることが必要である(本件通達3(3))。

ところが、本件洪水時において、四門放流時から音声放送が故障により全く作動しなくなってしまい、サイレンも故障して吹鳴しなかったのであり、右警報装置は本来有すべき性能を備えておらず、その設置保存に瑕疵がある。

六 被告県の責任

1  国家賠償法一条一項による責任

(一)  殿山ダムの設置を許可したこと

前記五4(一)及び(二)で述べたとおり、被告関電は、殿山ダムの安全性について十分な調査や予測をせずに許可申請をなしたものであり、日置川の河川管理者である和歌山県知事が右ダムの設置を安易に許可したことには過失がある。

(二)  法四四条の違反

殿山ダムの設置によって従前の河川機能が大きく減殺されたのであるから、日置川の河川管理者である和歌山県知事は、被告関電に対して、法四四条に基づく指示をし、これにより洪水時における従前の河川機能の維持を図るべき義務があったのに、これを怠った。

(三)  不備・欠陥のある操作規程の承認

本件操作規程には五3で述べたとおりの不備・欠陥がある。ところが、日置川の河川管理者である和歌山県知事は、昭和五三年一二月一日、被告関電の承認申請にかかる本件操作規程を承認した。

(四)  防災教育訓練及び警報装置の点検についての指導義務違反

被告県は、殿山ダムの設置者である被告関電に対し、ダムの操作にあたる関係者について日頃から実際に具体的な洪水を想定した上で訓練を積ませ、教育研究を重ねるなどして実践的な洪水予防対策を講じるよう指導すべき義務を負っている。また、被告関電に対し、同被告が設置した警報装置に故障がないよう点検することを指導・指示すべき義務がある。

ところが、被告県は右義務を怠り、被告関電に対し、一切の指示・指導をしなかった。

(五)  法五二条の違反

災害対策基本法や法一条、二条、四四条ないし五一条等の規定の趣旨を総合すると、法五二条は、洪水発生の緊急時において、河川管理者がダム設置者に対して洪水調節のための適切な指示をなすことを義務づけた規定と解すべきである。従って、河川管理者は、ダム下流域に洪水による災害が発生し、または発生する虞がある場合には、法五二条に基づき、ダム設置者に対して、積極的に洪水調節をなすよう指示すべき義務がある。

しかしながら、和歌山県知事ないし現実に管理事務を担当している被告県の職員は、日置川地域に大雨・洪水・暴風・波浪警報が発令された平成二年九月一九日八時四〇分以降も、被告関電に対して、右の指示を全く与えなかった。

2  国家賠償法二条一項による責任

(一)  河川改修の遅れ

日置川は殿山ダム設置後、洪水の回数が増加し、ダム設置から本件洪水まで三〇年余りの間に洪水吐ゲート四門以上の放流による水害が六回、三門以上の放流による水害が二〇回発生しており、河川改修を緊急に行うべき必要性は極めて高い。ところが、被告県は、日置川河口からJR紀伊日置駅よりやや上流までの地域については河川改修を完了していたものの、そこからさらに上流の田野井地区については、昭和三三年水害以降、日置川町民が再三改修を行うよう求めていたにも拘らず、本件洪水時まで河川改修をしなかった。また日置川は田野井地区においてL字型に湾曲し、右地域には本件洪水時に多量の雑木が繁茂しており、右雑木が水流を阻害して洪水水位を引き上げ、被害を拡大させたものであるところ、田野井地区に必要な改修工事は、日置川の両岸の提防を一m嵩上げし、右岸に繁茂していた植物を伐採することだけで足りるのであり、財政的制約など諸制約を考慮しても、同種・同規模の河川管理の水準や社会通念に照らし、その安全性の欠如は到底是認し難いものである。

従って、日置川の河川管理には瑕疵があったというべきである。

(二)  県道の不備

日置川の上流地域と下流地域を結ぶ県道日置川大塔線は、洪水時には広報車が通行するほか、住民が避難したり、荷物を運んだりするのに通行する必要がある道路であるのに、殿山ダムの洪水吐ゲートが三門開放されると必ず通行不可能になるなど、県道として通常有すべき安全性を具備しているとはいえず、その設置管理に瑕疵がある。

そしてそのために、本件洪水時に広報車による警報が不可能となり、住民が上流又は下流へ避難又は荷物の運搬をすることができず、被害を拡大させた。

七 原告らの損害

1  別紙原告目録第一表記載の原告らは、日置川町玉伝地区から同町田野井地区までの間に、田又は畑を所有し、稲・野菜等を栽培していたが、本件洪水時における殿山ダムの放流による洪水によって田畑が冠水し、作物に多大の被害を受けた。右原告らの被った損害は一人あたり五〇万円を下らないが、内金一〇万円を請求する。また、右原告らは本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任したので、弁護士費用として各自一万円を請求する。

2  別紙原告目録第二ないし第四表の原告ら及び亡安宅令司の被害状況並びに損害額及び請求額は、別紙2「被害状況・損害額一覧表(1)」記載のとおりである。

亡安宅令司は平成七年三月一九日死亡し、同人の子である原告安宅秀中、同安宅美絵、同安宅盛十がそれぞれ三分の一の割合で損害賠償請求権を相続した。

3  原告虎屋漬物株式会社の被害状況並びに損害額及び請求額は、別紙3「被害状況・損害額一覧表(2)」記載のとおりである。

4  原告小阪善一は、本件洪水により四四七万八六〇〇円の、同藪本健次は二五〇万円の、同山本清一は六〇〇万円の各損害をそれぞれ被った。

右原告らは、本件訴訟追行を原告ら訴訟代理人に委任し、弁護士費用として、原告小阪善一は四〇万円、同藪本健次は二五万円、同山本清一は六〇万円の支払を約した。

八 よって、原告らは、被告関電に対しては不法行為に基づき、被告県に対しては国家賠償法一条一項又は二条一項に基づき、請求の趣旨記載の損害金の支払を求める。

第二 請求原因に対する認否

(被告関電)

一  請求原因一ないし三は認める。

二  同四1は認め、同四2は知らない。

三  同五のうち、平成二年九月一九日の五門目、六門目の洪水吐ゲートからの放流開始の際、音声・サイレンとも吹鳴しなかったことは認めるが、その余の主張は争う。

四  同七は知らない。

(被告県)

一  請求原因一ないし三は認める。

二  同四1は認め、同四2のうち、増水した日置川からの濁流が殿山ダムの下流地域の一部に流入した時刻及び梅の損害が三二四〇アール、野菜類の被害が一二六〇アール、その他ハウス等被害(センリョウ等)が一〇〇アールであることは不知、その余は認める。

三  同六のうち、本件台風時に警報装置が吹鳴しなかったことがあること、和歌山県知事ないし現実に管理事務を担当している被告県の職員が平成二年九月一九日八時四〇分以降、被告関電に対し、法五二条に基づく指示をしなかったこと、日置川は田野井地区でL字型に湾曲し、本件洪水時には右地域に雑木が繁茂していたことは認めるが、その余の主張は争う。

四  同七は知らない。

第三 被告関電の主張

一  治水ダムと利水ダム

法は、ダムについてその設置目的の違いから二種類のものを区分して規定している。

一つは、治水事業の一環として洪水等による災害の発生を防止または軽減するための施設として機能するダムである。これは「治水ダム」と呼ばれ、法三条二項の「河川管理施設」の一つであり、原則として河川管理者が管理し、その設置目的に鑑みて、積極的な洪水調節機能を有する。

もう一つは、かんがい・上水道・発電等の一定の利水目的に供するために設置され、豊水期にその流水を貯留し、渇水期にその貯水を利用するという、水資源の有効な確保、利用のための施設として機能するダムである。これは「利水ダム」と呼ばれ、「公利を増進し、又は公害を除却し、若しくは軽減する」という積極的な管理が要請される河川工事(法八条)には含まれず、法二六条の適用を受ける工作物として、ダムに関する特則(法四四条ないし五一条)の規制を受けるに過ぎない。

二  利水ダム設置者の義務

1  法四四条ないし五一条のダムに関する特則は、利水ダムの適正な管理を確保し、特にダムの設置または操作に起因する人工的な災害の発生を防止するためのものであり、このうち洪水に関するダム設置者の義務を定めているのが法四四条である。

利水ダムでは、流水を発電等の利水目的に供するため、常時貯水池に貯留することが不可欠となるが、これによって河道貯留効果の減少、洪水伝播速度の増大という、河川が従前有していた機能が減殺される現象が生じる。

ダムが設置される以前には、貯水池上流端からダム地点までの間の河道において、洪水が流下していくとき水面が上昇し、これに伴って洪水が一時河道内に貯留されるのと同じ効果が生じ、同時に、洪水のピークの発生時刻も洪水波がこの間の河道を伝播する速度に相当する時間だけ遅れて現れる。これが自然河道が有する河道貯留効果及び洪水伝播速度である。

ところがダムが設置されると、自然河川の機能はダムの湛水区間において変化することとなる。例えば、人為的に水位を一定に保つために貯水池への流入量に等しい流量をダムから放流する場合のように、貯水池内の水面上昇がないときには、貯水池に貯留される流水は全くないので、上流端の流水がすぐに下流端から放流されたのと同様になり、河道貯留効果が減少したり、洪水伝播速度が増大したりする。この現象を放置すると、ダムを設置したことによって、自然河道であった場合に比べて洪水が増大する虞がある。

2  そこで法四四条は、ダムが設置されることによって生ずる可能性のある右の現象に対応するため、利水ダム設置者に対し、ダム設置前の河道が有していた機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとることを義務づけている。これは、洪水時においてダムの設置または操作に起因する人工的災害の発生を防止するために、ダムが設置されていないのと同様の状態、すなわち自然の河道と同様の状態で洪水を流下させるべきことを定めたものと解される。要するに法四四条の規定は、ダム貯水池への貯留による洪水規模の縮小あるいは洪水ピーク流量の減少という積極的な洪水調節を求めたものではなく、洪水を増大させないという意味で消極的な洪水調節を定めているにすぎない。

3  原告らは、被告関電が積極的な洪水調節を行う義務を負っていると主張するが、右主張は、河川管理施設(治水ダム)と河川利用施設(利水ダム)とを明確に区分して規制している河川法の体系を無視し、利水ダムの適正な管理を確保することを目的とする法四四条ないし五一条の趣旨を没却するものであり、失当である。

三  殿山ダムにおける河川の従前の機能の維持

1  予備放流方式

河川の従前の機能を維持する具体的方法として、本件操作規程二二条一号は、三〇分の「遅らせ放流」を採用している。遅らせ放流とは、流入量の増加に応じて、放流量を三〇分前に生じた流入量に相当する範囲において増加するものであり、ダム貯水池に一時流水を貯留することにより自然河道において洪水が一時河道内に貯留されるのと同じ効果を生じさせ、ダム設置前の河川の従前の機能を維持するダム操作方法である。

遅らせ放流を行っている間の貯水池の放流量は、流入量が増大しているうちは常に流入量を下回るものであり、貯水池には放流量と流入量の差にあたる流水が貯留されることになるため、遅らせ放流を行うためには、あらかじめ必要な空虚容量を貯水池に確保しておく必要がある。右空虚容量を確保する方法については、河川法施行令二四条二項に「ダムの設置に伴い下流の洪水流量が著しく増加し災害が発生するおそれがある場合においては、当該ダムの設置者にサーチャージ方式、制限水位方式又は予備放流方式のうちいずれか一以上の方式により、当該増加流量を調節することができると認められる容量を確保させること。」と規定されており、殿山ダムの場合には予備放流方式が採用されている。

予備放流方式とは、洪水前にあらかじめ貯水を放流することにより、遅らせ放流を行うために必要な空虚容量(予備放流容量)を確保しておく方式である(右空虚容量を確保したときの水位を予備放流水位という。)。

2  殿山ダムにおけるダム操作の原則

殿山ダムでは、予備放流方式による遅らせ放流を行うため、本件操作規程で予備放流水位を標高117.00mに定め(同規程三条(2)へ)、洪水前にあらかじめ放流して予備放流水位まで下げ(同規程二一条)、洪水時には三〇分の遅らせ放流を行うよう定められている(同規程二二条)。

右規程による遅らせ放流を適切に行うためには、適切な流入量の予測が必要となる。そして、適切な流入量の予測を行うためには、雨量の時間的変化等の情報収集が不可欠である。そこで、法四五条は、ダム操作を河川管理上適正に行うため、政令で定める基準に従い、観測施設を設け、水位、流量及び雨雪量を観測しなければならないと定めている。

被告関電は、右規定を受けた河川法施行令二六条に従い、殿山ダムについて五か所(殿山ダム地点、野中地点、五味地点、平瀬地点、竹垣内地点)の雨量観測所及び四か所(殿山ダム地点、平瀬地点、五味地点、竹垣内地点)の水位観測所を設け、常時観測を行っている。

各観測所で観測されたデータは殿山ダム管理所へ送信され、ダムへの流入量、ダムからの放流量とともに管理所内の監視操作卓にデジタル表示され、出水の際には、それらのデータのうち雨量観測所で観測された雨量データをもとに殿山ダム管理所においてダム操作員がダムへの流入量の予測を行い、それに従ってダム操作を行うのである。

3  本件洪水時におけるダム操作の状況

平成二年九月一六日二三時、和歌山県南部に大雨・雷注意報が発令され、殿山ダムでは予備警戒時に入った。翌一七日一〇時三〇分、一門目の洪水吐ゲートから放流を開始した。一五時一〇分、洪水警戒時に入り、一七時三〇分に二門目の洪水吐ゲートの放流を開始し、一九時五〇分、貯水位を予備放流水位に低下させた。

翌一八日六時に予備警戒時に移行し、九時には一旦二門目のゲートを全閉したが、翌一九日八時四〇分、和歌山県全域に大雨・洪水・暴風・波浪警報が発令されて洪水警戒体制に入り、一四時四〇分、再び二門目ゲートから放流を開始して予備放流水位を維持した。

一八時にダムへの流入量が826.9m3/sに達したことにより洪水時に入り、以後、流入量に応じた三〇分の遅らせ放流を実施し、一九時三〇分に三門目、二〇時に四門目、二〇時五〇分に五門目のゲートからそれぞれ放流を開始し、二一時三〇分に六門目のゲートからの放流を開始した。

そして二一時三八分、最大流入量は二一時二〇分の流入量である2788.4m3/sであったことが確認できたため、六門目ゲートの開操作の停止及び閉操作の開始を行い、二一時四九分、六門目ゲートを全閉した。その後は流入量の減少に伴い、二三時一〇分に五門目、翌二〇日の〇時二五分に四門目、二時二〇分に三門目、八時二五分に二門目をそれぞれ全閉し、九月二二日九時に一門目ゲートを全閉して操作を終了した。

右のダム操作によって、河川の従前の機能は十分維持されており、かえって、自然河道の場合に比べて下流の各地点での最高水位、最大流量を低減させている。よって、本件洪水時におけるダム操作には何ら問題はない。

4  原告らの主張に対する反論

(一) 事前放流の有無について

原告らは、原告ら住民の当時の記憶をもとに被告関電が事前放流をしなかった旨主張するが、本件台風時、被告関電の職員が適切な事前放流を行っていたことは殿山ダム運転監視記録から明らかである。右運転監視記録は殿山ダム管理所内の計算機で算出された放流量、流入量が直接印字されたものであり、改ざんされる余地のないものである。

(二) 六門目開扉の判断の適否について

原告らは、被告関電の六門目開扉の判断に誤りがあった旨主張するが、右3で述べたとおり、六門目の開扉も法四四条に定める河川の従前の機能を維持するため、本件操作規程に基づく三〇分の遅らせ放流として行ったものであり、右ダム操作は適切である。結果としても本件洪水時の最大放流量2590.6m3/sはダムへの最大流入量2788.4m3/sを下回っていたのである。

原告らは、流水がダム天端を越流するに至った時点ではじめて六門目の洪水吐ゲートを開放すべきか否かを判断すべきであった旨主張するが、原告らの右主張は、操作規程に違反し、法四七条三項に違反する操作を求めるものであるうえ、かかる操作をすればダム越流により単にダム付属設備が損傷するだけでなく、ダム上流地域が浸水被害を受けることを無視した主張である。

四  防災教育訓練

被告関電は、洪水警戒時や洪水時の措置について必要な教育訓練を実施しており、本件洪水時においても、流入量の変化の予測や事前放流等の措置について欠けるところはなかった。

五  本件操作規程について

原告らは、本件操作規程には基準となる水位を高く設定しすぎているなどの不備・欠陥があると主張するが、予備放流容量は、河川の従前の機能を維持するため遅らせ放流を行うのに必要な空虚容量のことであって、洪水規模の縮小あるいは洪水ピーク流量の減少という積極的な洪水調節を行うための容量ではない。

本件洪水時においても、事前放流により貯水池の水位を本件操作規程所定の予備放流水位まで低下させたことによって、洪水時に実施された三〇分の遅らせ放流により河川の従前の機能を維持することができたのであって、本件操作規程に定められた予備放流水位は河川の従前の機能維持に十分であったといえる。

六  設計洪水流量について

殿山ダムの設計洪水流量は、ダム建設当時の一般的な算定方法に従って、昭和四年七月二一日の既往最大水位記録をもとに算出された最大洪水量二〇六八m3/sに余裕を加え、昭和一四年から二八年までのデータを用いた一〇〇年確率洪水推定によって妥当性を検証したうえで二五〇〇m3/sと定め、さらに被告県からの指導に基づきこれを三〇〇〇m3/sと設定したのである。

本件洪水時の殿山ダムへの最大流入量は2788.4m3/sであり、設計洪水流量を上回っていないので、右最大流入量に対しても洪水吐ゲートからの放流により河川の従前の機能の維持が可能であり、現にこれが実現されている。従って、本件で設計洪水流量の妥当性を論じる意味はない。

原告らは、殿山ダムが河川管理施設等構造令に定められた二百年につき一回の割合で発生するものと予想される洪水の流量に基づいて設定されていないことをダムの瑕疵と主張するが、同令は昭和五一年に制定されたものであって、遡及適用の規定もないことから、昭和三二年に設置された殿山ダムには適用されない。

なお原告らは、二百年につき一回の割合で発生するものと予想される洪水の流量を過去二〇〇年間に発生した洪水の流量のうち最大のものを意味する旨主張するが、これは確率論を誤って解釈したものである。

七  警報装置について

本件操作規程では、法四八条、同法施行令三一条及び同法施行規則二六条に基づき、具体的な通知先、通知方法を定めており(同規程一四条別表第一、一五条別表第二)、和歌山県や日置川町等の自治体や警察署に対しては電話によって通知し、一般への周知は殿山ダム管理所内の警報装置操作卓からの操作によって一一か所の警報局のサイレンや音声を吹鳴することで行っている。

法四八条によってダム設置者が義務づけられている一般への周知の目的は、ダム操作により貯留水を下流河道へ放流した際に下流の河道内にいる河川利用者の人身への危害が発生するのを防止することにある。つまり右周知は、河川に立ち入った者及び河川に立ち入ろうとしている者を対象とするものであって、河川沿岸の住民に対し、洪水の予告、立退等を指示することを目的とするものではない。よって、原告らの主張は失当である。

なお、被告関電は、本件洪水時において、本件操作規程に定められた関係各所への通知及び一般への周知を行っている。警報局については五門目、六門目のゲートからの放流開始の際にはサイレン、音声とも鳴らなかったが、日置川町に依頼し、町の防災無線による放送を実施したことに加え、モニター(平常時には河川状況などの情報提供及び流域住民へのダム放流事故防止のためのPRビラ、ポスター等の配付を、また、殿山ダムからの放流時には河川に立ち入った者及び河川に立ち入ろうとしている者に対して注意喚起を行うよう依頼している住民)を活用して周知を尽くした。

第四 被告県の主張

一  国家賠償法一条一項の責任について

1  操作規程について

本件操作規程は、これに基づく操作によって河川の従前の機能の維持という河川法上の利水ダム設置者の義務を十分果たす内容を有しており、現に本件台風時においても、本件操作規程に従った被告関電のダム操作によって河川の従前の機能の維持は実現されているのであるから、本件操作規程には何ら不備・欠陥はない。従って、和歌山県知事が本件操作規程を承認したことに問題はなく、また、本件洪水当時、和歌山県知事には被告関電に対して本件操作規程の改訂を指示指導すべき義務はなかった。

2  防災教育訓練及び警報装置の点検についての指導義務違反の主張について河川管理者がダム設置者に対して、防災教育訓練及び警報機の点検を指示・指導すべき義務があると認めるべき法令上の根拠はない。

3  法五二条違反の主張について

法五二条は、河川管理者に対し、洪水による災害が発生し、または発生するおそれが大きいと認められる場合において、災害の発生を防止し、または災害を軽減するため緊急の必要があると認められるときに、ダム設置者に対して必要な措置を採るべきことを指示することができる権限を付与した規定であって、右措置にかかる指示をなすべきことを義務づけた規定とは解されないから、原告らの主張は失当である。

4  その他、殿山ダムにおける河川の従前の機能の維持の点については被告関電の主張を援用する。

二  国家賠償法二条一項の責任について

1  河川管理について国家賠償法二条一項にいう「瑕疵」の有無を判断するにあたっては、河川管理の特殊性及び治水事業における財政的、技術的及び社会的制約を考慮して、諸般の事情を総合的に勘案し、それらの制約の下での同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。すなわち、我が国における治水事業の進展等により、河川管理の特質に由来する財政的、技術的及び社会的諸制約が解消した段階ではともかく、これらの諸制約によっていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約の下での同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。

そして、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として右の見地から見て、格別、不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修がいまだ行われていないとの一事をもって河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁)。

2  日置川は、昭和三六年度に中小河川改修事業として改修計画が定められ、これに基づき現に改修中の河川であるから、被告県による日置川の河川管理に国家賠償法二条一項の瑕疵があるか否かは、右1の基準に基づき判断すべきである。

原告らは、本件で、日置川の改修計画が同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えているか、また、当時の未改修部分について、改修計画策定後の事情変更により水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画を変更して早期の改修工事を施行しなければならない特段の事由があったか否か等の具体的事実について何ら主張・立証しないから、その余の事情を考慮するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

3  原告らは、本件洪水当時、田野井地区の日置川がL字型に湾曲した部分の辺りに雑木が繁茂し、右雑木が水流を阻害して洪水位を引き上げ、同地区の被害を拡大させたと主張し、これを前提として、本件洪水当時、被告県が右雑木を伐採していなかったことが国家賠償法二条一項にいう営造物の設置管理の瑕疵にあたると主張する。しかしながら田野井地区のL字型湾曲部は河川工学上「死水域」と呼ばれる場所であり、本来流水の疎通には無関係な部分であるから、右部分に雑木が繁茂していたことは本件洪水による水位上昇及び溢水とは無関係である。従って、原告らの右主張はその前提を欠き、失当である。

第五 証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一  争いのない事実

以下の各事実は、当事者間に争いがない。

一  当事者

1  被告関電は、昭和二九年七月三〇日、和歌山県知事から殿山水力発電所水利使用の許可を受け、二級河川日置川上流の和歌山県西牟婁郡大塔村大字合川に殿山ダムを、和歌山県西牟婁郡日置川町殿山に発電所をそれぞれ構築し、昭和三二年五月から操業運転を開始した。

2  和歌山県知事は、日置川の河川管理者である。

3  原告らはすべて日置川町の住民である。

二  殿山ダムの概要

殿山ダムの諸元は、別紙1「殿山ダムの諸元」のとおりである。

三  本件洪水の概況

1  平成二年九月、本件台風が日本に接近するに伴い、日置川流域では九月一四日ころから降雨が始まり、九月一九日に最大雨量を記録し、翌九月二〇日一時ころ降り止んだ。

2  本件台風の九月一九日一八時現在の位置は潮岬の西南西約一〇〇Kmにあり、中心気圧九四五mb、中心付近の最大瞬間風速四五m/sで、前日よりスピードを上げ、一七時三九分には室戸岬で最大風速61.2m/s、一九時五五分には潮岬で最大瞬間風速59.5m/sをそれぞれ記録した。

3  そして同日二〇時ころに日置―白浜間に上陸し、右時点において日置川町役場で九四〇〜九四五mbの気圧が観測され、また、同日〇時から一八時までの雨量は、日置一一四mm、大台ヶ原日出岳四二二mm、本宮町一八二mmであった。

四  本件台風時における殿山ダムからの放流

1  本件台風がもたらした雨によって殿山ダムへの流水の流入量が増大したため、被告関電は、別表一記載のとおりオリフィスゲートを開閉したが、平成二年九月一九日、一門目から五門目までを全開したうえ、同日二一時三〇分、六門目から放流を開始した。

2  平成二年九月一九日の五門目、六門目の洪水吐ゲートからの放流開始の際、一般に周知させるための音声・サイレンとも吹鳴しなかった。

第二  被告関電の責任の有無について

一  本件洪水時におけるダム操作の過誤の主張について

1  前記争いのない事実に証拠(丙A一、二、四、八ないし一〇、一五、検証の結果)を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 殿山ダムにおけるダム操作の原則

本件操作規程及び殿山ダム操作実施要領では、ダム操作について次のとおり定められている。

(1) 調整池からの放流は、下流の水位の急激な変動を生じないように、別図第1に定めるところによってしなければならない。ただし、流入量が急激に増加しているときは、当該流入量の増加率の範囲内において調整池からの放流量を増加することができる(一二条)。

(2) 予備警戒時(ダムにかかる直接集水地域の全部又は一部を含む予報区を対象として洪水注意報、風雨注意報又は大雨注意報が発令された時、又は流域内において前二四時間累計雨量が六〇mmに達し、以後相当の雨量が予想され、洪水が発生するおそれがあると認められるに至った時、又は台風が北緯三二度東経一三二度から一三六度に囲まれた地域に達した時、その他洪水が発生するおそれがあると認められるに至った時)においては、ダムを操作するために必要な機械及び器具、警報装置等の点検・整備を行い、気象官署が行う気象の観測の成果を的確かつ迅速に収集し、和歌山県知事に通知するほか、出水期(五月一五日から一〇月一五日までの間)には、(1)の定めるところに従い、以下のダム操作を行う(二〇条)。

① 予備警戒時が始まる時点における貯水位が標高一二〇m(水位計での表示一八m)を越えているときは、貯水位が標高一二〇mに等しくなるまでの間、一〇〇〇m3/sを限度とする流量を調整池から放流し、貯水位が標高一二〇mに等しくなった時以降は、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

② 予備警戒時が始まる時点における貯水位が標高一二〇mに等しいときは、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

③ 予備警戒時が始まる時点における貯水位が標高一二〇mを下回っているときは、貯水位が標高一二〇mに達するまではダム調整池に流水を貯留し、標高一二〇mに等しくなった時以降は、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

右の一〇〇〇m3/sの流量は、「最大無害放流量」と呼ばれ、下流に影響を及ぼさない放流量の上限である。

(3) 洪水警戒時(ダムにかかる直接集水地域の全部又は一部を含む予報区を対象として洪水警報、暴風雨警報又は大雨警報が発令された時、又は流域内において前二四時間累計雨量が八五mmに達し、以後相当の雨量が予想され、洪水が発生するおそれがあると認められるに至った時、又はダム調整池への流入量が六〇m3/sに達し、以後相当の流入量が予想され洪水が発生するおそれがあると認められるに至った時、その他洪水が発生するおそれがあると認められるに至った時からこれらの警報が解除され、又は、洪水注意報、風雨注意報又は大雨注意報に切り替えられた時、その他洪水が発生するおそれが少ないと認められるに至るまでの間で洪水時を除いた間)においては、警報装置等の点検・整備を行うなど予備警戒時におけるのと同様の措置をとるほか、最大流入量その他の流入量を予測し、(1)の定めるところに従い、以下のダム操作を行う(二一条)。

① 洪水警戒時が始まる時点における貯水位が予備放流水位(標高117.00m、水位計での表示15.00m)を越えているときは、貯水位が予備放流水位に等しくなるまでの間、一〇〇〇m3/sを限度とする流量を調整池から放流し、貯水位が予備放流水位に等しくなった時以降は、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

② 洪水警戒時が始まる時点における貯水位が予備放流水位に等しいときは、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

③ 洪水警戒時が始まる時点における貯水位が予備放流水位を下回っているときは、貯水位が予備放流水位に達するまではダムに流水を貯留し、予備放流水位に等しくなった時以降は、流入量に相当する流量の流水を調整池から放流する。

(4) 洪水時(ダム調整池への流入量が八二〇m3/s以上である時)においては、気象官署が行う気象の観測の成果を的確かつ迅速に収集し、和歌山県知事に通知するほか、最大流入量その他の流入量を予測し、以下のダム操作を行う(二二条)。

① 洪水時に至った時から流入量の増加に応じて放流量をそれぞれの時点の三〇分前に生じた流入量に相当する範囲において増加し、全ての洪水吐ゲートが全開となるまでの間これを継続する。

② 全ての洪水吐ゲートが全開となってからは全開の状態を保持し、流入量が最大となった時を経て徐々に減少して八二〇m3/sになるまでの間、流入量の減少に応じて流入量に相当する流量を放流するよう洪水吐ゲートを順次閉じていく。

③ 全ての洪水吐ゲートが全開となるまでの間に流入量が減少し始めたときは、流入量の減少に応じて流入量に相当する流量を放流するよう洪水吐ゲートを順次閉じていく。

右①の放流が三〇分の「遅らせ放流」と呼ばれる操作方法であり、法四四条の河川の従前の機能を維持するため行われるものである。

(5) 洪水処理時(洪水警戒時のうち、洪水時が終わった時から洪水警戒時が解除されるまで、又は、解除されることなく調整池への流入量が再び増加し、洪水時に至るまでの間)においては、警報装置等の点検・整備を行うなど予備警戒時におけるのと同様の措置をとるほか、最大流入量その他の流入量を予測し、(4)と同様の操作により貯水位を予備放流水位まで下げ、貯水位が予備放流水位に等しくなった時以後においては貯水位を予備放流水位より上昇させないよう操作する。

(二) 各種情報の収集と予測

右のダム操作を適切に行うためにはダム調整池への流入量の予測が前提となる。そして、適切な流入量の予測を行うためには、雨量の時間的変化等の情報収集が不可欠である。そこで法四五条は、ダム操作を河川管理上適正に行うため、政令で定める基準に従い、観測施設を設け、水位、流量及び雨雪量を観測しなければならないと定めている。

被告関電は、右規定を受けた河川法施行令二六条に従い、本件操作規程一七条で観測または測定すべき事項を定めたうえ、殿山ダムについて五か所(殿山ダム地点、野中地点、五味地点、平瀬地点、竹垣内地点)の雨量観測所及び四か所(殿山ダム地点、平瀬地点、五味地点、竹垣内地点)の水位観測所を設け、常時観測を行っている。

各観測所で観測されたデータは、殿山ダム管理所へ送信され、管理所内の監視操作卓にデジタル表示される。監視操作卓には、このほかにその時刻における貯水位や放流量、流入量(水位及びゲートの開度をもとに計算機で自動計算される)等がデジタル表示され、これらのデータは、毎正時、三〇分毎及び要求の都度、監視操作卓に付設されたプリンターに「殿山ダム運転監視記録」として打ち出される。

そして、出水の際には、これらのデータのうち雨量観測所で観測された雨量データをもとに殿山ダム管理所においてダム操作員がダムへの流入量の予測を行い、それに従ってダム操作を行う。

(三) ダム操作方法

殿山ダムの操作は、洪水時における三〇分の遅らせ放流が基本となる。

遅らせ放流を行う場合、洪水吐ゲート開扉の判断、ゲート開扉時刻の決定はゲート開扉開始の約一時間前に行う。これは、ダムからの放流開始に際しては、放流開始の三〇分前までに関係機関への通知及び一般への周知を行うことが義務づけられているところ(本件操作規程一四条、一五条)、これらの通知や周知を完了するには一定の時間を要するためである。

三〇分の遅らせ放流を実施するためには、当該洪水吐ゲートが全開となった時点での放流量がその三〇分前の流入量に相当するようゲートの開扉を行わなければならない。そこで、具体的な作業の手順としては、まず、開扉を判断する時点の一〇分前と三〇分前の実績流入量の差から流入量の変化率(増加率)を求め、判断時における流入量を定数、判断時からの経過時間を変数とする予測流入量を表す数式をたて、その数式から予測流入量が当該ゲート全開時の放流量に達する時刻を求め、その時刻の一〇分後をゲート開扉開始時刻とする。これは、オリフィスゲートの場合、ゲート開扉開始から全開になるまで二〇分を要するためで、右時刻の設定で三〇分の遅らせ放流が行われこととなる。ゲート開扉開始時刻が決まると、関係機関への通知及び一般への周知を行う。

そして、ゲート開扉開始時刻になった時点で、その時刻の二〇分後の放流量(当該ゲート全開時の放流量)が、ゲート開扉開始時刻の一〇分前、すなわちゲート全開時の三〇分前の流入量以下であることを再度確認し、そのとおりであれば予定通りゲート開扉の操作を行う。しかし、ゲート開扉開始時刻の一〇分前の流入量が予想流入量を下回り、ゲート全開時の放流量が右流入量を上回ることになるときは、一旦ゲート開扉を見送り、その一〇分後に再度同様の確認を行い、改めてゲート開扉の判断を行う。

(四) 本件台風時におけるダム操作

(1) 平成二年九月一六日二三時、和歌山県南部に大雨・雷注意報が発令され、翌一七日〇時、殿山ダムでは予備警戒時に入った。予備警戒時が始まった時点で、ダム調整池の貯水位は水位計の表示で17.91mであり、本件操作規程の定める標高一二〇m(水位計での表示一八m)にほぼ等しかったため、殿山ダムでは調整池への流入量に相当する流量の放流を継続し、その後流入量が増加したことに対応して同日一〇時三〇分、一門目の洪水吐ゲートから放流を開始した。一五時一〇分、洪水が発生する虞があると認められたため、殿山ダムでは洪水警戒時に入り、貯水位を予備放流水位(標高117.00m、水位計での表示15.00m)まで下げるため、一五時五三分に一門目のゲートを全開にし、さらに一七時三〇分に二門目の洪水吐ゲートの放流を開始し、一八時三三分に二門目のゲートを全開にし、一九時の時点で870.7m3/sの流量を放流するなど放流を継続して一九時五〇分、貯水位を予備放流水位まで低下させた。

(2) ダム調整池への流入量は、一八時三三分の461.4m3/sをピークにその後減少し、流域平均雨量も一時間二〜三mm程度になった。これらの降雨状況等から洪水が発生する虞は少ないと認められたため、翌一八日六時に予備警戒時に移行し、九時には一旦二門目のゲートを全閉し、その後は調整池の貯水位が予備放流水位程度の水位を維持するべく、流入量の増減に応じて一門目の洪水吐ゲートを操作し、放流量を調節した。

(3) 翌一九日八時四〇分、和歌山県全域に大雨・洪水・暴風・波浪警報が発令され、殿山ダムでは九時に洪水警戒時に入った。洪水警戒時が始まった時点における貯水位が予備放流水位を若干上回る15.47m(水位計の表示)であったため、一門目ゲートの開度を増大させて放流量を増加させ、一二時には貯水位を予備放流水位まで低下させた。その後、流域での降雨量が増加し、ダム調整池への流入量も増大したため、殿山ダムでは一四時二分、一門目のゲートを全開にし、一四時四〇分、再び二門目ゲートから放流を開始して予備放流水位を維持した。

一八時にダムへの流入量が826.9m3/sに達したことにより洪水時に入った。その後も流域での降雨量は増加し、ダム調整池への流入量もそれに伴って増え、一九時二七分には一五〇〇m3/sに達し、さらに増大していった。

殿山ダムでは洪水時に入って以降、本件操作規程に従って、流入量に応じた三〇分の遅らせ放流を実施した。すなわち、殿山ダムでは一九時三〇分に三門目ゲートから放流を開始したが、ゲート全開時(一九時五〇分)における放流量は、三〇分前の一九時二〇分の流入量1669.5m3/sに相当する範囲内の一二三六m3/sであった。殿山ダムではその後の流入量の増加に応じて、二〇時に四門目、二〇時五〇分に五門目のゲートからそれぞれ放流を開始したが、四門目ゲート全開時(二〇時二二分)における放流量は、三〇分前の一九時五〇分の流入量二〇三三m3/sに相当する範囲内の1801.1m3/sであり、五門目ゲート全開時(二一時一〇分)の放流量は、三〇分前の二〇時四〇分の流入量2620.5m3/sに相当する範囲内の2320.9m3/sであった。

(4) 殿山ダムではその後の流入量の予測に基づき、二一時三〇分に六門目ゲートの開扉を開始することを決定し、二一時四分、関係機関へその旨の通知を完了し、二一時三〇分、予定通り六門目ゲートからの放流を開始した。

そして二一時三八分、最大流入量は二一時二〇分における流入量である2778.4m3/sであったことが確認でき、六門目ゲート全開時の放流量が右流入量を上回ることが明らかになったため、六門目ゲートの開操作の停止及び閉操作の開始を行い、二一時四九分、六門目ゲートを全閉した。そのため、ダムからの最大放流量は二一時四九分の2590.6m3/sとなり、三〇分前の最大流入量を下回る量に止まった。

(5) その後、ダム調整池への流入量は急激に減少し、また流域での降雨量も減少して二二時には流域平均の時間雨量が2.4mmとなった。そこで殿山ダムでは、流入量の減少に伴い、二三時一〇分に五門目、翌二〇日の〇時二五分に四門目、二時二〇分に三門目をそれぞれ全閉した。

三時二六分には、ダム調整池への流入量が814.6m3/sと820m3/sを下回ったので洪水時から洪水処理時に移行し、さらに六時五分には和歌山県全域の洪水警報及び大雨注意報が解除になり、洪水が発生する虞が少ないと認められたため、七時一〇分、予備警戒時に移行した。ダム調整池への流入量はその後も減少しつづけたため、殿山ダムでは八時二五分に二門目を全閉し、九月二二日九時に一門目ゲートを全閉して操作を終了した。

九月一九日〇時から翌二〇日二四時までの四八時間の流域平均雨量、ダムの貯水位、ダム調整池への流入量及びダムからの放流量の推移は別図第2のとおりである。

(五) 関係機関に対する通知及び一般への周知

本件操作規程では、法四八条、同法施行令三一条及び同法施行規則二六条に基づき、具体的な通知先、通知方法を定めており(同規程一四条別表第一、一五条別表第二)、殿山ダムにおいては、和歌山県や日置川町等の自治体や警察署に対しては電話によって通知し、一般への周知は殿山ダム管理所内の警報装置操作卓からの操作によって一一か所の警報局のサイレンや音声を吹鳴することで行っている。

被告関電は、本件洪水時においても、本件操作規程に定められた関係各所への通知及び一般への周知を行った。警報局については、本件洪水時の九月一九日、四門目ゲートからの放流開始のときまではサイレン、音声とも吹鳴していたが、五門目、六門目のゲートからの放流開始の際にはサイレン、音声とも吹鳴しなかった。そこで被告関電は、日置川町に依頼し、町の防災無線による放送を実施したことに加え、モニター(平常時には河川状況などの情報提供及び流域住民へのダム放流事故防止のためのPRビラ、ポスター等の配付を、また、殿山ダムからの放流時には河川に立ち入りった者及び河川に立ち入ろうとしている者に対して注意喚起を行うよう依頼している住民)を活用して周知を尽くした。

2  ダム操作記録等の信用性について

右1(四)で認定した事実は、本件操作記録等に基づくものであるが、原告らは、原告らや他の住民らの記憶をもとに、本件操作記録、被告県設置の安居橋水位観測所の水位記録等は被告らによって捏造されたものであり、信用できないと主張しているので、本件操作記録等の信用性について判断を示す。

(一) 本件操作記録は、殿山ダム運転監視記録(丙A一〇)の雨量、水位、放流量、流入量及びゲート開度の記載を転記したものであるから、本件操作記録の信用性の問題は、結局、運転監視記録の信用性の問題に帰することになる。

証拠(乙A一、丙A一〇、一五、検証の結果)によれば、運転監視記録は、各雨量観測所及び水位観測所から送信された雨量及び水位、ダムゲート開度などを基に殿山ダム管理所内の計算機で自動計算されて算出される放流量、流入量が直接印字されたものであり、人の手を介さずに作成されるものであること、また安居橋水位観測所の水位記録も同様に機械によって自動的に記録されるものであることが認められる。従って、これらの記録は、右の作成過程からみて、改ざんされるとは通常考えられないものであるから、特に不審な点がない限り、これらの記録の内容は信用できるものといえる。

(二) さらに本件では、芦田和男教授作成の鑑定書(丙A八、以下「芦田鑑定書」という。)においてなされた計算モデルの妥当性の検証によっても各データの信用性を根拠づけることができる。

(1) 芦田鑑定書は、後記3(三)(3)以下に詳述するように、本件洪水時における日置川の流水の流下過程をモデル化して、殿山ダムが日置川の河川流況に与えた影響について検討をおこなっているものであるが、右計算モデルが現実の流下過程を再現したものであるか否かを検証するため、右モデルによって算出された計算値と実際の観測値とを比較検討している。

(2) 具体的には、ダム上流域については、野中等の各雨量観測所の雨量データを基にしたダム上流域からダム調整池への計算上の流入量とダム地点で観測された実績流入量とを比較検討し、ダム下流域については、本件操作記録の殿山ダム放流量のデータ、日置等の雨量観測所の雨量データ、白浜等の潮位観測所の潮位データを基に計算モデルに当てはめて算出された各時間における宇津木、安居橋の二地点での水位と右各地点の水位観測所の観測データとを比較検討して、計算モデルの妥当性を検証したところ、ダム上流域・下流域いずれについても計算値と観測値とがよく合致していた。

(3) 右検証の結果は、計算モデルの妥当性を裏付けると同時に、これらの各データが相互に矛盾なく合致していることをも明らかにしているといえる。仮に原告らが主張するように、右に挙げた各データの一部または全部が捏造されたものであるとすると、芦田鑑定書が用いた右の検証によっても矛盾が生じないように改ざんが行われたことになるが、そのようなことは常識的に見て極めて困難といわざるを得ず、これらのデータが相互に矛盾を示していないことはデータの信頼性を高める根拠の一つとなるというべきである。

(三) 原告らは、日置川流域の住民らが知覚した日置川の水位の状況から、事前放流がなされていないと主張するので、日置川流域の住民の供述等が右データの信用性を動揺させるに足りるものであるか否かを検討する。

(1) 証人川根保平は、殿山ダムより約四Km上流の川根地区では平成二年九月一九日の夕方ころから日置川の水位が上昇していたが、同日二〇時三〇分ころ、激しく雨が降っていたにも拘らず、ゴーという音とともに二〜三分の間に日置川の水位が約二m低下したと供述する。しかしながら同人は、右川根地区の水位について矛盾した供述をしているのみならず、証拠(丙A一)並びに弁論の全趣旨によれば、オリフィスゲートの開扉速度は、一、二、五及び六号ゲートが0.26m/s、三号及び四号ゲートが0.30m/sであり、六門を全開するのに二〇分を要すること、六門を一度に全開すれば三〇〇〇m3/sが放流されることが認められるから、仮に六門全閉の状態から六門の洪水吐ゲートの開扉を一斉に始めたとしても、当時激しく雨が降っていたことも考え併せると、川根が供述するように二〜三分の間に日置川の水位が約二mも低下することはあり得ない。

(2) 証人小田時男は、安居地区の日置川の堤防の外にある小屋の中に駐車していたフォークリフトが水に浸からないようにするため、平成二年九月一九日一三時三〇分ころから一七時三〇分ころまでの間、およそ一時間毎に安居地区の日置川の水位を見に行っていたが、一三時三〇分ころの日置川の水位は普通と同じ状態で、その後も一七時三〇分ころまでの間、ほとんど変化はなかった、またフォークリフトは、同日一七時三〇分ころまでの間、水に浸かることはなかっと供述する。

しかしながら、小田の水位の変化についての供述は「目で見て大きな変化がない」というだけのものであって、極めて曖昧であるし、一三時三〇分ころの日置川の水位が普通と同じ状態であったとの供述については、原告山本清一は安居地区の日置川の水位について、普通の状態ではなく、同日六時ころの時点ですでに少なくとも原告山本が石積みをした付近までは水が来ていた旨供述しており、小田の右供述は原告山本の供述とも矛盾している。また、フォークリフトが水に浸かることがなかったとの供述をもって安居橋水位観測所の水位記録が誤りであるというためには、右水位記録(同日一七時三〇分の時点で4.18m)に記載された水位だと日置川の流水が堤防を越流してフォークリフトが水に浸かるということも立証する必要があるのに、その点については何らの証拠もない。

(3) 原告山本清一は、平成二年九月一九日六時ころ、安居橋から若干下流の日置川河川敷で、日置川の水位の変化を見るための目印として河原に石積みをして石にマジックインキで印をつけたが、その後、同日一七時三〇分ころまでの間、水位に変化はなかったと供述する。

しかしながら、右供述は矛盾・変遷があるうえ、九月一九日六時ころから同日一七時三〇分ころまでの間に安居地区で雨が降り続いていたことは原告山本も認めているところ、和歌山地方気象台設置の安居雨量観測所の雨量記録(甲A四の2)によれば、九月一九日六時から同日一七時までの間に一〇八mmの降雨があったことが、日置川消防署の雨量観測所の雨量記録(甲A一二)によれば、同日六時から同日一七時までの間に83.5mmの降雨があったことがそれぞれ認められ、日置川流域にこれだけの降雨があれば、仮にダムからの放流がなかったとしても支川からの流入や降雨によって日置川の水位が上昇したと考えられる。また証拠(丙A八、九)によれば、殿山ダムの下流部の宇津木地区の同日六時の水位は2.01m、一八時の水位は3.09mでこの間1.89mの水位変化が、安居地区では六時から一八時まで約二mの水位変化が認められるのであり、マジックインキでつけた目印をみれば、わずかな水位の変化でも確認できたはずであるから、原告山本がどの程度正確に水位を観察していたのか甚だ疑わしいと言わざるを得ず、水位の変化がなかった旨の供述は信用できない。

(4) 原告大岩虎一は、原告虎屋漬物株式会社工場裏の水路はダムのゲートが二門開けられると水路の底の側溝が見えなくなるところ、平成二年九月一九日一六時ころには側溝が見えている状態であった、またダムの洪水吐ゲート一門を全開にすると、日置川の水はいわゆる「泥濁り」の状態になるが、同日一六時ころの田野井橋付近の日置川はいわゆる「ささ濁り」の状態で川底がはっきり見えていた、日置川がいわゆる「泥濁り」の状態になると鮎の友釣りはできなくなるが、平成二年九月一九日一四時ころから一五時ころ、田野井橋付近で鮎の友釣りをしている者を見たと供述している。

しかしながら、殿山ダムのゲートが二門開けられると虎屋漬物株式会社工場裏の水路の底の側溝が見えなくなるとの供述については、その根拠が明らかでない。また、九月一九日一六時ころの日置川の状態がいわゆる「ささ濁り」であったとの供述については、洪水吐ゲート一門全開で放流するとなぜ日置川の水がいわゆる「泥濁り」になるのか、その理由やメカニズムは何ら明らかにされておらず、何の根拠も示さずにただそのように断言しているというだけなのであって、原告大岩の供述するように日置川の水の濁り具合と殿山ダムからの放流の有無・程度との間に相関関係があると認める証拠はない(洪水吐ゲートから徐々に放流すれば、川はそれほど濁らないのではないかとも考えられる。)。

よって、原告大岩の供述は、いずれも本件操作記録と矛盾するものかどうか自体明らかでないというべきである。

(5) 証拠(甲A一九の1ないし28、三四)によれば、平成七年一二月一〇日ころ、三倉健嗣測量士が平成二年九月一九日における被告県設置の安居橋水位観測所の水位データ(乙A一)及び被告関電設置の宇津木水位観測所の水位データ(丙A九)を基に本件台風時における日置川の水位を再現したところ、再現水位を示す位置を見た日置川流域の住民は、平成二年九月一九日当時目撃した日置川の水位は再現水位より遙かに低かったことを断言する旨の書面に署名押印したことが認められる。

そして、三倉健嗣の陳述書(甲A三四)によれば、右水位の再現は、平成二年九月一九日の一二時、一五時、一七時三〇分における水位記録を基に、宇津木水位観測所付近、安居橋下、原告山本が石積みをしていた場所、証人小田がフォークリフトを駐車していた場所、田野井地区の合計五地点での水位を再現し、再現水位を示す位置に旗を立てたり、橋脚にテープを張りつけたり、木に印をつけるなどの方法によって、住民に再現水位の位置が分かるようにしたというものであって、田野井地区の水位再現の資料には時間差・水位差等を全く考慮せずに、安居橋水位観測所の水位記録をそのまま用いたことが認められる。

しかしながら、そもそも五年も以上前の日置川の水位について流域住民がどの程度正確に記憶しているのか疑問であるし、その水位も具体的な数値ではなく、普通など主観的かつ曖昧な表現により示されているうえ、旗を立てたり、橋脚にテープを張りつけたり、木に印をつけるなどの方法で水位の位置を示して住民の当時の記憶を喚起することが可能かとの疑問もある。さらに田野井地区の水位再現については、一般に河川の水位は河川の幅、勾配及び粗度等によって異なるところ、安居橋と田野井地区とでは右条件が異なるにも拘らず、安居橋水位観測所の水位記録をそのまま用いているのであって、このような再現方法によって果して水位が正確に再現されているのか疑問がある。

(6) 以上検討したとおり、原告らが本件操作記録等の信用性を弾劾する根拠とする日置川流域の住民の供述等は、そもそも水位記録等のデータと矛盾するか否かさえ明らかでないものもある上、いずれの供述も漠然とした内容であり、中には内容自体が不合理な供述や相互に矛盾する内容の供述も含まれているのであって、これらの供述をもって本件操作記録等の信用性を動揺させることはできない。

(四) 以上から、本件操作記録や安居橋水位観測所の水位データ等の記録は信用できるものであり、右記録と矛盾する日置川流域の住民の供述は、いまだ右記録の信用性を動揺させるに足りないというべきである。

3  そこで、前記1で認定した事実を前提に、本件洪水時におけるダム操作について原告らが主張する過誤があったか否かにつき判断する。

(一) 治水ダムと利水ダム

(1) 河川管理の目的・内容については、治水面と利水面の両面があるところ、法一条は、河川管理の内容について、①洪水、高潮等による災害の発生の防止、②河川の適正な利用、③流水の正常な機能の維持を挙げ、これらが実現されるよう河川が総合的に管理されることにより、国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする旨定めているが、右①、③が治水面を、②が利水面を指すことは明らかである。そして、法二条では、河川が公共用物であって、その保全、利用その他の管理は、一条の目的が達成されるように適正に行われなければならない旨定められている。このように法は、治水、利水の両目的が最大限に達成されるように河川が適正かつ総合的に管理されることによって公共の安全を保持し、公共の福祉を増進することを究極の目的としているのであって、河川を管理するにあたっては、災害を防止または軽減するための対策のみならず、発電、かんがい、上水道、舟運等の河川の利用の調整を行い、河川が適正に利用されるよう秩序を維持することをも要求しているものと解すべきである。

そして法は、治水面は河川管理者が自ら行うものとし、利水面は河川を利用しようとする者の申請を受けて河川管理者が許可すること等によって間接的に管理することとしている。

(2) さらに法は、河川管理者がなすべき治水事業と私人である河川利用者の行う利水事業との区別を前提として、河川管理者自らが「河川の流水によって生ずる公利を増進し、又は公害を除却し、若しくは軽滅する」ために行う河川工事(法八条)によって設置される「河川管理施設」(法三条二項)と、河川利用者が河川管理者の許可を受けて設置する工作物(法二六条)である河川利用のための「河川利用施設」とを明確に区別して規定し、異なる法的規制を加えている。このことは、河川管理施設に関する法三条二項ただし書や兼用工作物に関する法一七条の規定からも明らかである。

すなわち、河川管理施設については、「公害を除却し、若しくは軽減する」という設置目的から積極的な洪水調節機能が要請されるが、河川利用施設は、元来、河川利用者の水利利用という特定の利益にのみ供する目的で設置された施設であるから、河川管理施設のような積極的な洪水調節機能は求められず、専ら河川の利用関係に関する規制に服することとなる。

(3) ダムについても、その設置目的の違いから大別して二種類のものがあり(なお、以下に説明するダムのほか、「多目的ダム」と呼ばれるものもあるが、ここでは説明を省略する。)、右の河川管理施設と河川利用施設との区別はダムについても妥当する。

一つは、治水事業の一環として洪水等による災害の発生を防止または軽減するための施設として機能するダムである。これは「治水ダム」と呼ばれ、法三条二項の河川管理施設の一つであり、原則として河川管理者が管理し、その設置目的に鑑みて、積極的な洪水調節機能を有する。

もう一つは、かんがい・上水道・発電等の一定の利水目的に供するために設置され、豊水期にその流水を貯留し、渇水期にその貯水を利用するという、水資源の有効な確保、利用のための施設として機能するダムである。これは「利水ダム」と呼ばれ、法二六条の適用を受ける工作物である河川利用施設の一つであり、積極的な洪水調節機能は要請されない。ただし、利水ダムは河川利用施設のなかでも大規模のものであり、その操作方法等によっては人工的な災害を発生させる虞もあるため、法はダムに関する特則(法四四条ないし五一条)を設け、ダムに起因する災害の防止を図っている。

(二) 利水ダム設置者の義務

(1) 法四四条ないし五一条のダムに関する特則は、利水ダムの適正な管理を確保し、特にダムの設置または操作に起因する人工的な災害の発生を防止するためのものであり、このうち洪水に関するダム設置者の義務を定めているのが法四四条である。

法四四条は、利水ダム設置者に対し、当該ダムの設置により河川の状態が変化し、洪水時における従前の当該河川の機能が減殺されることとなる場合においては、河川管理者の指示に従い、当該機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとることを義務づけている。同条にいう「洪水時における従前の当該河川の機能の減殺」とは、具体的には①河道貯留効果の減少、②洪水伝播速度の増大、③貯水池における背水、背砂の影響を指すものと解されるが、本件のようなダム下流における洪水との関係では、①、②の点が問題となる。

(2) 芦田鑑定書及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

利水ダムでは、流水を発電等の利水目的に供するため、常時貯水池に貯留することが不可欠となるが、これによって河道貯留効果の減少、洪水伝播速度の増大という、河川が従前有していた機能が減殺される現象が生じる。

ダムが設置される以前には、貯水池上流端からダム地点までの間の河道において、洪水が流下していくとき水面が上昇し、これに伴って洪水が一時河道内に貯留されるのと同じ効果が生じ、同時に、洪水のピークの発生時刻も洪水波がこの間の河道を伝播する速度に相当する時間だけ遅れて現れる。これが自然河道が有する河道貯留効果及び洪水伝播速度である。

ところがダムが設置されると、自然河川の機能はダムの湛水区間において変化することとなる。例えば、人為的に水位を一定に保つために貯水池への流入量に等しい流量をダムから放流する場合のように、貯水池内の水面上昇がないときには、貯水池に貯留される流水は全くないので、上流端の流水がすぐに下流端から放流されたのと同様になり、河道貯留効果が減少したり、洪水伝播速度が増大したりする。この現象を放置すると、ダムを設置したことによって自然河道であった場合に比べて洪水が増大する虞がある。

(3)  そこで、法四四条は、ダムが設置されることによって生ずる可能性のある右の現象に対応するため、ダム設置者に対し、ダム設置前の河道が有していた機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとることを義務づけているのであって、洪水時においてダムの設置または操作に起因する人工的災害の発生を防止するためにダムが設置されていないのと同様の状態、すなわち自然の河道と同様の状態で洪水を流下させるべきことを定めたものと解される。

要するに、法四四条の規定は、ダム貯水池への貯留による洪水規模の縮小あるいは洪水ピーク流量の減少という積極的な洪水調節を求めたものではなく、洪水を増大させないという意味で消極的な洪水調節を定めているにすぎないというべきである。

(三) 本件洪水時におけるダム操作と河川の従前の機能の維持

(1) 殿山ダムでは、河川の従前の機能を維持するため、前記1(一)(4)で認定したとおり、本件操作規程二二条で洪水時において三〇分の遅らせ放流を行う旨定めている。遅らせ放流とは、流入量の増加に応じて、放流量を三〇分前に生じた流入量に相当する範囲において増加するものであり、ダム貯水池に一時流水を貯留することにより自然河道において洪水が一時河道内に貯留されるのと同じ効果を生じさせ、ダム設置前の河川の従前の機能を維持するダム操作方法である。

遅らせ放流を行っている間の貯水池の放流量は、流入量が増大しているうちは常に流入量を下回るものであり、貯水池には放流量と流入量の差にあたる流水が貯留されることになるため、遅らせ放流を行うためには、必要な空虚容量をあらかじめ貯水池に確保しておく必要がある。右空虚容量を確保する方法については、河川法施行令二四条二項に「ダムの設置に伴い下流の洪水流量が著しく増加し災害が発生するおそれがある場合においては、当該ダムの設置者にサーチャージ方式、制限水位方式又は予備放流方式のうちいずれか一以上の方式により、当該増加流量を調節することができると認められる容量を確保させること。」と規定されており、殿山ダムの場合には予備放流方式が採用されている。

予備放流方式とは、洪水前にあらかじめ貯水を放流することにより遅らせ放流を行うために必要な空虚容量を確保しておく方式である(右空虚容量を確保したときの水位を予備放流水位という。)。

前記1(一)で認定したとおり、殿山ダムでは、予備放流方式による遅らせ放流を行うため、本件操作規程で予備放流水位を標高117.00mに定め(同規程三条(2)へ)、洪水警戒時に適切な事前放流を行って貯水位を予備放流水位まで低下させ(同規程二一条)、遅らせ放流に必要な空虚容量を確保すべき旨定めている。

(2) このように本件操作規程は河川の従前の機能の維持を図るべくダム操作の方法を定めたものであり、前記1(四)で認定したとおり、本件洪水時におけるダム操作は右操作規程の定めるところに従って行われているから、本来、右操作によって河川の従前の機能が維持されているはずであるが、本件洪水時におけるダム操作によって現実に河川の従前の機能が維持されたか否かをさらに検討する。

(3) この点について芦田鑑定書は、五味、平瀬、野中、殿山ダム、竹垣内(以上被告関電設置)、栗栖川、日置川、西川(以上気象庁設置)、日置(被告県設置)の各雨量観測所の雨量データ、殿山ダム、宇津木(以上被告関電設置)、安居橋(被告県設置)の各水位観測所の水位データ、白浜(気象庁設置)、周参見(被告県設置)の各潮位観測所の潮位データ、殿山ダムの放流量、流入量の各データ(これらのデータが信用できるものであることは、前記2で説示したとおりである。)を基礎資料として、本件洪水時における日置川の流水の流下過程をモデル化して殿山ダムが日置川の河川流況に与えた影響についての検討を行い、本件洪水時におけるダム操作によって、ダムがなかったと仮定した場合に比べて、ダム地点における最大流量、下流の各地点での最高水位・最大流量を低減させ、かつ、洪水伝播時間も遅らせており、河川の従前の機能が維持されたと結論づけている。

芦田鑑定書は、以下の解析手法を用いて右結論を導いている。

まず、野中、平瀬、五味、殿山ダム、竹垣内、栗栖川、西川の各雨量観測所の雨量データを基に、雨水の流出解析手法を用いて本件洪水時におけるダム上流域の流出量を算出し、これらの計算値と本件洪水時のダム調整池への流入量の記録とが整合するか否かを検討することによってダム上流域の流出モデルの妥当性を検証したところ、計算値と実績流入量はよく合致していた。次にダム下流河道での伝播状況については、日置、殿山ダム、竹垣内、日置川の各雨量観測所のデータを基にダム上流域と同様の解析手法によりダム下流域の降雨による流出量を算定し、これとダムからの放流量とを加えてダム下流域における流量を計算し、さらにダイナミック・ウエーブ法と呼ばれる計算手法でダム下流河道での洪水流の伝播過程をモデル化した。そして、右モデルを基に各時間における各地点での水位と流量を算出し、これらの計算値と、ダム下流の宇津木、安居橋の二か所の水位観測所で本件洪水時に実際に観測された水位の時間的変化とを比較することによって右モデルの妥当性を検証したところ、いずれの地点においても計算値と現実の観測値はよく合致していた。

以上の検討により、右モデルによって本件洪水時の洪水流の伝播過程を明らかにできたので、このモデルを用いてダムがないと仮定した場合の解析を行い、ダムがある場合との間で洪水の伝播過程の比較を行った。

(4) 右に述べた、芦田鑑定書が用いた計算手法やモデルの設定について不合理な点は認められないし、計算上の数値をそのまま用いるのではなく、現実のデータによる検証が行われており、流出モデルの設定にあたっても日置川の植生の状況や河床砂礫の粒径を実地に調査した結果が考慮されているのであって、右鑑定書は十分信頼できるものといえる。

以上から、本件洪水時におけるダム操作によって、ダムがなかったと仮定した場合に比べて、ダム地点における最大流量、下流の各地点での最高水位・最大流量を低減させ、かつ、洪水伝播時間も遅らせており、河川の従前の機能が維持されたと認められる。

(四) 原告らの主張について

(1) 事前放流の有無

前記1(四)で認定したとおり、ダム主任らは、洪水警戒時において適切な事前放流を行い、本件操作規程の定める予備放流水位まで貯水位を低下させ、河川の従前の機能を維持するのに必要にして十分な空虚容量を確保したのであるから、本件の事前放流について何ら違法な点は認められない。

原告らは、殿山ダムについては、昭和三三年水害の経験に照らし、洪水吐ゲート六門の放流を避けるべく、事前放流により本件操作規程の定める予備放流水位よりさらに水位を低下させておくべき義務があったと主張するが、前記(二)、(三)(1)で説示したとおり、利水ダムにおいては洪水時において遅らせ放流など河川の従前の機能を維持するための操作をなしうるだけの空虚容量が確保されていれば足りるのであって、特に殿山ダムについてのみ右容量を越えて空虚容量を確保すべき義務を負う根拠は認められない。よって、原告らの主張は理由がない。

(2) 六門目放流開始の判断の過誤の主張について

原告らは、ダム主任は流水がダム天端を越流するに至った時点ではじめて六門目の洪水吐ゲートを開放すべきか否かを判断しても遅過ぎることはなかったのに、本件洪水時において右越流の確認を行わず、ダムへの流入量が急速に下降を始めた同日二一時三〇分に六門目の洪水吐ゲートの放流を開始したのであり、必要性がないのにみだりに六門目の洪水吐ゲートを開放した旨主張する。

しかし、右主張はダム上流域において水位が上昇し、洪水が発生する虞が生ずることを無視した一方的な主張であるといえるし、利水ダム設置者は、河川の従前の機能を維持すべき義務を負っているにすぎないと解すべきところ、前記認定のとおり、殿山ダムでは流入量の予測に基づき、二一時三〇分に六門目ゲートの開扉を開始することを決定し、予定通り六門目ゲートからの放流を開始したが、二一時三八分、最大流入量は二一時二〇分における流入量である2788.4m3/sであったことが確認でき、六門目ゲート全開時の放流量が右流入量を上回ることが明らかになったため、六門目ゲートの開操作の停止及び閉操作の開始を行い、二一時四九分、六門目ゲートを全閉したものであり、右ダム操作の結果、ダムからの最大放流量は二一時四九分の2590.6m3/sとなり、三〇分前の最大放流量を下回る量に止まったのであって、ダムがなかったと仮定した場合に比べて、ダム地点における最大流量、下流の各地点での最高水位・最大流量を低減させ、かつ、洪水伝播時間も遅らせており、河川の従前の機能の維持が図られたのであるから、ダム主任らが六門目の洪水吐ゲートから放流を行ったことについて違法は認められない。

(3) 警報装置の点検義務違反の主張について

原告らは、被告関電の従業員が放流に先立って必要な一般への周知を十分に行わず、また、一般への周知を行う手段であるサイレン等及び警報車の拡声器等は、予備電源設備を附置する等暴風雨の下においてもその吹鳴を確保できるものであることが必要であるのに、これらの警報装置を事前に十分点検していなかったため、四門放流時から音声放送が故障により全く作動しなくなってしまい、サイレンも故障して吹鳴しなかったと主張する。

しかしながら、法四八条によってダム設置者が義務づけられている一般への周知の目的は、ダム操作により貯留水を下流河道へ放流した際に、下流の河道内にいる河川利用者の人身への危害が発生するのを防止することにあり、河川沿岸の住民に洪水の予告等をすることを目的とするものではないと解されるから、仮に一般への周知をしなかったとしても、そのことによって河川沿岸の住民である原告らに対する責任が発生するにならない。それにそもそも前記1(五)で認定したとおり、被告関電の従業員は、本件台風時においても、本件操作規程に定められた関係各所への通知及び一般への周知を行い、警報局については本件洪水時の平成二年九月一九日、四門目ゲートからの放流開始のときまではサイレン、音声とも吹鳴していたが、五門目、六門目のゲートからの放流開始の際にはサイレン、音声とも吹鳴しなかったため、殿山ダムでは日置川町に依頼し、町の防災無線による放送を実施したことに加え、モニターを活用して周知を尽くしたのである。また証拠(証人小田時男、原告山本清一本人)によれば、六門目のゲートの放流開始の三〇分以上前である同日二一時前ころには、殿山ダムの六門目の洪水吐ゲートの放流が開始される旨の情報が日置川町の水防団等を通じて原告らダム下流域の住民に伝えられていることが認められる。

従って、被告関電の従業員は、法四八条に定める一般への周知を十分行っているといえるから、被告関電の従業員の右措置に違法はない。

二  殿山ダムの設置・保存の瑕疵の有無

1  利水ダムについての設置・保存の瑕疵の判断基準

民法七一七条の土地工作物の設置又は保存の瑕疵とは、工作物の設計、建築又はその維持、管理に不完全あるいは不十分な点があり、工作物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、当該工作物の通常有すべき安全性については、当該工作物の構造、用法、場所的環境、利用状況等諸般の事情を総合考慮して、具体的、個別的に判断すべきである。

前記一3の(一)、(二)で説示したとおり、利水ダムには積極的な洪水調節機能は要求されておらず、利水ダム設置者は法四四条に定める河川の従前の機能を維持すべき義務を負っているにすぎないのであるから、利水ダムについてそれが通常有すべき安全性を欠いているか否かを判断するにあたっては、合理的に予想される流入量に対して、ダム操作員が遅らせ放流など河川の従前の機能を維持するための措置をとることを可能ならしめるだけの機能(強度・容量など)を当該ダムが有しているか否かという観点から行うべきである。

2 これを本件についてみると、前記認定のとおり、本件台風時において、殿山ダムではダム主任らが事前放流や三〇分の遅らせ放流等を行い、これらのダム操作によって河川の従前の機能の維持が図られたのであるから、殿山ダムは、ダム主任らが河川の従前の機能を維持するための措置をとることを可能ならしめるだけの機能を有していると認められる。従って、殿山ダムが通常有すべき安全性を欠いているとはいえない。

3  原告らの主張について

(一) 設置場所の誤り

原告らは、殿山ダムは将軍川、前の川、安川の三つの川及びその支川の流水を一点に合流させるように作られたため、各川の流出時間のずれがなくなり、ダム設置によって洪水の危険が増大したと主張し、このことが殿山ダムの設置または保存の瑕疵にあたる旨主張するが、本件洪水との関係で何が瑕疵にあたると主張するのか不明確であるし、右2で説示したとおり、本件台風時において、殿山ダムではダム主任らが事前放流や三〇分の遅らせ放流等を行い、これらのダム操作によって河川の従前の機能の維持が図られたのであるから、殿山ダムが設置されたことにより本件台風時に洪水の危険が増大したとはいえない。従って、原告らの主張する瑕疵は認められない。

(二) ダム本体について

原告らは、被告関電は殿山ダムの設置許可申請にあたっては、少なくとも明治二二年に田辺市内において日雨量901.7mm、時間雨量最大一七〇mmを記録した洪水における殿山ダムへの推定流入量約八七〇〇m3/sに基づいて設計洪水位を設定すべきであったのに、これを考慮せずに設計洪水位を設定したから、殿山ダムには設置保存に瑕疵があると主張する。

しかし、設計洪水流量の算定の妥当性等が問題となりうるのは、設計洪水流量を超える流量の流水がダムに流入したため、ダムが決壊したり操作不能に陥るなどして下流に洪水被害が生じたような場合であるところ、前記一1(四)(4)で認定したとおり、本件では殿山ダム調整池への最大流入量は2788.4m3/sであり、殿山ダムの設計洪水流量三〇〇〇m3/sを下回っていたのであるから、本件洪水についての被告らの責任を論ずるにあたって設計洪水流量を問題にする余地はない。よって、原告らの右主張はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

(三) 警報装置について

本件洪水時の平成二年九月一九日、五門目、六門目のゲートからの放流開始の際にサイレン、音声とも吹鳴しなかったことは当事者間に争いがないが、前記一3(四)(3)で説示したとおり、被告関電の従業員は、右警報装置の故障に対処するため、日置川町に依頼して町の防災無線による放送を実施したことに加え、モニターを活用して周知を尽くしたのであり、六門目のゲートの放流開始の三〇分以上前である同日二一時前ころには、殿山ダムの六門目の洪水吐ゲートの放流が開始される旨の情報が日置川町の水防団等を通じて原告らダム下流域の住民に伝えられているから、警報装置の故障と原告らの損害とのあいだには因果関係が認められない。従って原告らの右主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三  その余の主張について

1  防災教育訓練

原告らは、被告関電がダムの操作にあたる関係者に日頃から実際に具体的な洪水を想定した訓練を積ませ、教育研究を重ねるなどして実践的な洪水予防対策が有効適切に行われるようにしていなかったため、本件洪水時においてダム主任ら被告関電の職員が最大流入量その他流入量の時間的変化を的確に予測し、適切な事前放流を行うことができず、日置川下流住民に被害をもたらしたと主張するが、前記一3(三)で認定したとおり、被告関電の職員は、本件洪水時において本件操作規程に従って適切なダム操作を行い、その結果、河川の従前の機能の維持が図られたのであるから、原告らの主張は理由がない。

2  本件操作規程の不備

前記一3(三)で認定したとおり、本件洪水時、ダム主任らは本件操作規程に従ってダム操作を行った結果、河川の従前の機能が維持されたのであるから、本件操作規程には河川の従前の機能を維持するという観点からみて何ら不備・欠陥は認められない。原告らは、本件操作規程の定める予備放流水位が高すぎる等と主張するが、予備放流容量は、河川の従前の機能を維持するため遅らせ放流を行うのに必要な空虚容量のことであって、洪水規模の縮小あるいは洪水ピーク流量の減少という積極的な洪水調節を行うための容量ではないと解すべきところ、本件台風時、洪水警戒時にあらかじめ予備放流水位まで水位を低下させたことにより、洪水時における三〇分の遅らせ放流に必要にして十分な空虚容量が確保されたのであって、本件操作規程が定めた予備放流水位には何らの不備も認められない。よって、原告らの主張は失当である。

第三  被告県の責任の有無について

一  国家賠償法一条一項の責任について

1  殿山ダムの設置を許可したこと

前記第二の二で述べたとおり、殿山ダムが安全性を欠くとは認められないから、和歌山県知事が殿山ダムの設置を許可したことに何ら違法は認められない。よって原告らの主張は理由がない。

2  法四四条の違反

前記認定のとおり、被告関電は、洪水時における従前の河川機能を維持するために本件操作規程を定め、本件洪水時において右操作規程に従ってダム操作を行い、その結果、河川の従前の機能の維持が図られたのであるから、被告関電は法四四条が定める義務を尽くしたと認められる。よって、本件で和歌山県知事が被告関電に対して法四四条に基づく何らかの指示をなすべき必要性があったとは認められず、法四四条に基づく指示をしなかったことは何ら違法とはいえない。

3  不備・欠陥のある操作規程の承認

前記第二の三2で説示したとおり、本件操作規程には不備・欠陥は認められないから、原告らの主張はその前提を欠き、理由がない。

4  防災教育訓練及び警報装置の点検についての指導義務違反

原告らは、被告県は、殿山ダムの設置者である被告関電に対し、ダムの操作にあたる関係者に日頃から実際に具体的な洪水を想定した上で訓練を積ませ、教育研究を重ねるなどして実践的な洪水予防対策を講じるよう指導すべき義務及び同被告が設置した警報装置に故障がないよう点検することを指導・指示すべき義務を負っている旨主張する。

しかし、公共団体である都道府県自体が原告ら主張の義務を負担することを定めた何らの規定もない。原告らの右主張は河川管理者である和歌山県知事が右義務を負うとの主張であるとも考えられるが、河川管理者がダム設置者に対し、防災教育訓練及び警報機の点検を指示・指導すべき義務があると認めるべき法令上の根拠はない。また、本件で原告ら主張の右義務を法令上の根拠なくして被告県または和歌山県知事に負担させることを正当化する特段の事情は何ら認められない。よって、原告らの右主張は失当である。

5  法五二条の違反

和歌山県知事ないし現実に管理事務を担当する被告県の職員が平成二年九月一九日八時四〇分以降、被告関電に対し、法五二条に基づく指示をしなかったことは原告らと被告県との間で争いがない。

原告らは、災害対策基本法や法一条、二条、四四条ないし五一条等の規定の趣旨を総合すると、法五二条は、洪水発生の緊急時において、河川管理者がダム設置者に対して洪水調節のための適切な指示をなすことを義務づけた規定と解すべきであるとして、河川管理者は、ダム下流域に洪水による災害が発生し、または発生する虞がある場合には、法五二条に基づき、ダム設置者に対し、積極的に洪水調節をなすよう指示すべき義務があると主張する。

しかし、法五二条は、その文言等に照らしても、河川管理者に対し、洪水による災害が発生し、または発生するおそれが大きいと認められる場合において、災害の発生を防止し、または災害を軽減するため緊急の必要があると認められるときにダム設置者に対して必要な措置を採るべきことを指示することができる権限を付与した規定であると解すべきであって、河川管理者に右指示をなすべきことを義務づけた規定と解することはできない。従って、本件で和歌山県知事が被告関電に対し、法五二条に基づく指示をしなかったことが直ちに国家賠償法上違法となるものではなく、右権限不行使が社会通念上著しく不合理である場合に初めて違法となると解すべきである。

これを本件についてみると、そもそも洪水の予測は現在の技術では必ずしも容易ではない上、法五二条は、元々積極的な洪水調節機能を有しない利水ダムを操作することによって積極的な洪水調節を行い、洪水を防止しようとするものであって、あくまで緊急の事態に対処するための例外的な規定であること、河川管理者が利水ダム設置者に対して適切な指示を与えることは困難である場合も予想され、かえって不適切な指示によって災害を発生または拡大させる虞も否定できないことを考慮すると、殿山ダム下流域に洪水が発生する虞があることが明白で、しかも、右洪水を防止するために和歌山県知事から殿山ダムに対して適切な指示を出すことが容易であった等の特段の事情が認められないかぎり、右権限不行使が杜会通念上著しく不合理であるとはいえないというべきである。

しかして、本件では右特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、和歌山県知事が被告関電に対し、法五二条に基づく指示をしなかったことが違法とはいえない。よって、原告らの右主張は理由がない。

二  国家賠償法二条一項の責任について

1  河川改修の遅れ

(一)  河川管理について国家賠償法二条一項にいう「瑕疵」の有無を判断するにあたっては、河川管理の特殊性及び治水事業における財政的、技術的及び社会的制約を考慮して、諸般の事情を総合的に勘案し、それらの制約の下での同種・同規模の河川の管理の一般的水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。すなわち、我が国における治水事業の進展等により、河川管理の特質に由来する財政的、技術的及び社会的諸制約が解消した段階ではともかく、これらの諸制約によっていまだ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない段階においては、当該河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約の下での同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。

そして、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として右の見地から見て、格別、不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画の時期を繰り上げ、又は工事の順序を変更するなどして早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事由が生じない限り、右部分につき改修がいまだ行われていないとの一事をもって河川管理に瑕疵があるとすることはできないと解すべきである(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁)。

(二) 証拠(検証の結果、芦田鑑定書)及び弁論の全趣旨によれば、日置川は、昭和三六年度に中小河川改修事業として改修計画が定められ、これに基づき現に改修中の河川であることが認められるから、被告県による日置川の河川管理に国家賠償法二条一項の瑕疵があるか否かは、右(一)の基準に基づき判断すべきである。

原告らは本件において、日置川は殿山ダム設置後、洪水の回数が増加し、河川改修を緊急に行うべき必要性が極めて高いこと、田野井地区に必要な改修工事は日置川の両岸の堤防を一m嵩上げすることだけで足りることを主張するのみで、日置川の改修計画が同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認しうる安全性を備えているか、また、当時の未改修部分について、改修計画策定後の事情変更により水害発生の危険性が特に顕著となり、当初の計画を変更して早期の改修工事を施行しなければならない特段の事由があったか否か等の具体的事実について何ら主張しないし、また本件でこれらの特段の事由を認めるに足りる証拠はない。よって、原告らの右主張は、その余の事情を考慮するまでもなく、理由がない。

(三) 本件洪水当時、田野井地区の田野井橋付近から日置川がL字型に湾曲した部分付近にわたって雑木が繁茂していたことは当事者間に争いがないところ、原告らは、右雑木が水流を阻害して洪水位を引き上げ、同地区の被害を拡大させたと主張し、これを前提として、本件洪水当時、被告県が右雑木を伐採していなかったことが国家賠償法二条一項にいう営造物の設置管理の瑕疵にあたると主張する。

しかし、本件で右雑木が水流を阻害して洪水位を引き上げ、同地区の被害を拡大させたと認めるに足りる証拠はない。かえって証拠(検乙A二の1、2、三、四の1、2)によれば、田野井地区のL字型湾曲部は河川工学上「死水域」と呼ばれる場所であり、流水の疎通には無関係な部分であると認められる。結局、被告県が雑木を伐採しなかったことと原告らの損害との間の因果関係を認めるに足りる証拠はなく、原告らの主張は失当である。

2  県道の不備

原告らは、日置川の上流地域と下流地域を結ぶ県道日置川大塔線は、洪水時には広報車が通行するほか、住民が避難したり荷物を運んだりするのに通行する必要がある道路であるのに、殿山ダムの洪水吐ゲートが三門開放されると必ず通行不可能になるなど、県道として通常有すべき安全性を具備しているとはいえず、その設置管理に瑕疵があり、そのため原告らの被害が拡大したと主張する。

しかしながら、道路の設置・管理について、国家賠償法二条一項にいう「瑕疵」の有無を判断するにあたっては、当該道路の位置、幅員、形状、交通量、利用目的、利用状況等諸般の事情を総合的に考慮して、社会通念に照らして当該道路が通常有すべき安全性を欠いていたか否かを具体的に判断すべきであるところ、本件ではこれらの事情が何ら明らかにされていないのみならず、右瑕疵と原告らの損害との因果関係について、原告らは主張・立証しない。

第四  結論

以上のとおり、原告らの被告らに対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官將積良子 裁判官村上正敏 裁判官中桐圭一は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官將積良子)

別紙1〜3〈省略〉

別表一、二〈省略〉

別図第1〈省略〉

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